2007/04/30

4/30_3 フェリドゥ到着、カアンブゥ・ティラ、おやつ、マタ・カンドゥ、夕食

3本目(#5):カアンブゥ・ティラ(フェリドゥ)
天気もよく風も穏やかで、母船は順調に南下し、13:00前にはフェリドゥ・アトール(環礁)の北端に着きました。回り込むようにラグーンの内側に入り、フェリドゥという島のリーフに投錨しました。
途中で追い越したドーニが、まもなく横付けしました。

フェリドゥ・アトールはショート・ブーツみたいな形をしています。
ファル(砂州)がアトールを形成しているので島が少なく、リゾートはディギリアリマタの2箇所しかありません。

ブリーフィングは、母船が停泊する前の13:00からスタートしました。
ドーニが追いつく前に終わっていたので、横付けするとさっそく乗り換えます。

ドーニで10分ほど東に向かった、カアンブゥティラ・ファルのアウト・リーフが今回のポイントです。
ほぼ東西に直っすぐ続く長いリーフです。

リーフを右に見ながら、ゆっくり西から東に流していきます。
リーフ上の-10m以浅ではアウト・カレントがありましたが、レッジではほとんど感じませんでした。

途中、ナポレオンに遭遇。
リーフに上がったほうが魚影は濃かったです。
ヤドカリが宿替えをしているところに遭遇しました。













<ログ>
En:13:23、Ex:14:22。Max D.20.0m、透明度18m、風向:南西、水温:30℃、カレント:アウト(リーフ上)SW→NE、月齢:十三夜

アリマタ・アクアティック・リゾート沖へ移動しながらおやつ
ダイビングを終え母船に戻ると、まもなく船は南東に向けて移動を始めました。

乗船して丸1日たち、船上生活のパターンというか過ごし方のコツが掴めてきました。

マンティリでは、ダイビングが終わるたびに次のブリーフィングの時刻がホワイト・ボードに書き出されます。
食事は、ダイビングから戻ってくる時間に合わせてくれています。
次のブリーフィングの時刻までに準備を整えるよう心がけてさえいれば、あとは気ままに過ごせます。

つまり、ダイビングのスタート時刻が常にゲストのスケジュールを決める、まさにダイビング中心の生活に浸れるというわけです。

本日3本目が終わり、おやつのビスケットとバナナを食べると、1時間半のヒマができました。

あとでわかったのですが、さっき食べたビスケットは”OleOle"という銘柄です。
この缶が、石油缶ぐらいデカい!
ちなみに、ティーバッグは”Limson”です。

どっちも、どこかで聞いたことあるようなないような・・・




好天がいつまで続くかわからないので、今のうちにアッパー・デッキで甲羅干しすることにしました。
日差しが強いので、日なたにいられるのは経験上せいぜい20分。
表と裏で計40分。
それ以上焼くと、ひどいサン・バーンになってしまい、痛くてTシャツも着れなくなってしまいます。

米人たちは、ダイニングのソファでおしゃべりに興じています。

1時間弱の移動で、母船はアリマタ・アクアティック・リゾートに到着、南側のチャネルに停泊しました。

4本目(#6):マタ・カンドゥ(フェリドゥ)
アリマタは東に外洋を望む島で、南北にチャネルを抱えています。
マタ・カンドゥは、南側のチャネルです。

ブリーフィングは16:30にスタート。

この日4本目のダイビングだったので、最大深度を浅めにとりました。

リーフの角では、クマザサハナムロやタカサゴの群れが一生懸命に夕飯をとっているところに遭遇しました。




そのままリーフ沿いにチャネルに入っていくのかと思いきや、流れがなかったこともあり、Mujeyは中層を横切って南どなりのリーフに向かいました。

午後遅くのエントリーだったので、後半になると水中が暗くなり始めます。
流れていれば回遊魚が出そうな場所ですが、この時は穏やかな分魚影も少なめでした。

南隣のリーフのサンゴは、エルニーニョの被害からまだ回復していないようです。

<ログ>
En:16:46、Ex:17:45。Max D.15.6m、透明度12~15m、風向:南西、水温:30℃、カレント:無

ディナーは豪華
ダイビングから戻ると、ギャレーではいつも2人のコックさんが食事を作っています。

きのうより30分ほど早い18:30にディナーがスタート。この夜のワインは赤でした。
黄色っぽいカレーは、レモングラスとココナツ・ミルクのカレー。具は白身魚です。
酢豚風というか、エスニック風味の魚のあんかけもおいしい。
そしてロースト・ビーフ。柔らかくておいしかったです。
リゾートで働いていた頃、牛肉は超ぜいたく品でした。
1ヶ月に1回も食べられなかったし、たまに食べたものは筋っぽくて固かったのを思い出しました。

書き忘れてましたが、ガイド兼チーフのMujeyも、同じテーブルで食事をとります。


メガネのジョンはジンベエ・フリークらしく、Mujeyに
「ジンベエはいつ見られるんだ、まだか、明日か?」としつこく迫ってました。

そのあと、ガラパゴスでのジンベエ体験を熱く語ってくれました。
半分も理解できませんでしたが…。
わたしの語学力では、早口の日常会話は聞き取れません。

以前はうまく喋れなくても、相手の言うことは7割方理解できたのになあ。
使ってないと錆びてしまいますね。

彼が言うには、ジンベエザメの個体識別と行動追跡調査をしているアメリカの非営利団体があって、
ダイバー達がそのサイトに体長・雌雄・特徴を記して画像をアップし、データベースを作っているそうです。

夕食の後で、ノートパソコンにカードモデムを突っ込んでそのサイトを開き、わたしたちに見せて
「これが、俺が投稿したデータだ」と自慢します。

「胸ビレの付け根に特徴的な模様が見えるだろう。ほら見てみろ、これはオスだ、生殖器が出てるだろ?
それから、尾びれのここに大きな傷がある。」
と、延々と続くので、最初は素直に感心してたんですが、
「グレイト、マーベラス、リアリィ?、アンビリーバブル、アンクレディブル」
を連発してるうちに相槌の台詞が尽きてしまいました。

メニュー
インゲン炒め、茹でブロッコリー、レモングラスとココナツ・ミルクのカレー、ベトナム風魚のあんかけ、ウインナーとポテト炒め、ロースト・ビーフ、ライス、メロン味のプリン、赤ワイン。

5/1につづく

4/30_2 ドーニの設備、母船の様子2

ドーニの設備
わたしが滞在していた1990年当時のドーニは、とてもシンプルな造りでした。
屋根と壁とベンチはあるものの、窓は素通しで、風や雨を避ける時は巻き上げ式のシートを下ろしてしのいでいました。

左の画像2点は、当時の面影を色濃く残しているドーニです。
なぜか、左舷側だけシートを下ろしています。




当時は帆を張った屋根のないドーニを見かけることもありましたが、
ダイビング用ドーニはさすがにヤンマー製の3気筒ディーゼル・エンジンを積んでいました。
起動するときは、まずクランクを回し、巻きつけておいたロープを勢いよく引いて手動でかけます。
シリンダーについている小さなレバーにタコ糸を結びつけ、それをエンジン・ルームから船尾の天井まで長く張って、それを引っ張ったり緩めたりしてスロットル代わりにしていました。

大きな木の舵は、足で器用に操作していました。
ドーニは操舵士と、助手の2人で操ります。
彼らは家財道具をベンチの頭上にある吊り戸棚に詰め込んで、船上で生活していました。
夜は床にじかに寝ていたようです。

マンティリに併走しているドーニ(ヴァサンタ号;画像右)はずっと近代的で、前方に操舵室があり、方向舵とスロットルはもちろん、セルモーターも計器も、さらにGPSまでついています。
エア用とナイトロックス用の2機のコンプレッサーを積んでいて、タンクに直接充填できる長いホースを何本も備えています。
工具もひととおり揃っていて、大抵の故障には対応できそうです。




左:GPS
中:Nitroxコンプレッサー
右:工具類






窓にはガラスがはまっていて、雨風を防いでくれます。

ベンチにはタンクを固定するベルトがついていて、揺れても倒れないようになっています。

サファリ中、ダイビング器材はドーニに置きっぱなしにしておきます。

BCとレギはタンクにつけっ放しでした。
それ以外の器材は、カゴに入れてベンチの足下に突っ込んでおきます。
船尾には大きなポリバケツに真水が張ってあり、脱いだウエットをリンスするのに使えます。
ウエットスーツをかけておくハンガーも造りつけのものがありました。

スタッフが本当にこまめに動いてくれて、マスクを洗うための水を洗面器に入れて回ってくれます。
BCを装着する時には、サッと来て手伝ってくれるし、エキジットでラダーを登る時もタンクを持って引っ張り上げてくれるので、本当にお気楽ダイビングです。

何より感心したのは、水洗トイレとシャワー。

5mmのウエットを着るときにシャワーが活躍しましたし、
母船がポイント近くに停泊するのでドーニに乗っている時間は短いとはいえ、
いつでもトイレに行けるのは助かりました。

ところで、モルディブのトイレには、脇に必ずシャワーのようなものがついています。
モル人は、トイレット・ペーパーを使う習慣がなく、水で洗い流しているというのは、本当でしょうか?


そして、他で味わったことのなかったサービスは、エキジット後、毎回洗いたてのバスタオルをひとり1枚づつ配ってくれること。

いままで、モルディブのいろいろなリゾートでドーニに乗りましたが、ヴァサンタ号の設備とホスピタリティはいちばん進んでいました。
ていうか、こんなことに感激するのも浦島太郎現象なんでしょうか?



母船の様子-2-
母船の後甲板とアッパーデッキの様子をここで紹介しておきましょう。

マンティリの後甲板はあまり広くありません。8畳ぐらいでしょうか?
ぶら下がっているバナナは、マーレを出航するとき吊るしたもので、最初は緑色ですが、下のほうから熟して黄色くなってくるので、おやつがわりに自由に食べていいことになっています。
皮は魚のエサになるので、海に捨ててもOKです。

船尾はステップになっていて、水面まで降りられるようになっています。

ギャレーの出入り口の前には、2層式洗濯機があり、ダイビング終了のたびに配られるバスタオルをここで洗っていました。

見てると、洗剤は使わず柔軟剤だけ入れて、2~3分回してすぐ脱水でした。
意外にアバウト。でも、洗剤は海を汚しますよね。
で、あとはアッパーデッキで干して、おしまい。
日差しが強いので、20分もすれば乾いてしまいます。
だから、毎回、ふんわりいい香りのタオルを出せるんですね。



アッパーデッキにはデッキチェアがあり、昼は日焼け、夜はビール片手に夕涼みができます。

右の画像ではためいているのが例のタオルです。

左の画像は、船尾側から船首の操舵室を見たところです。

母船のスタッフには部屋がないようで、夜は操舵室やアッパーデッキで適当に寝ていました。

つづく

4/30_1 キャビン。南マーレで2本、お昼ごはん

キャビンについて
起床は4:00。早っ!
外はまだ真っ暗です。
でも、日本時間なら8:00で完全に寝坊の時刻。時差ボケが直りません。

客室は、ダブルベッドが部屋を占領してますが、着替えを入れておく棚もあるし、スーツケースを広げておけるスペースもあるので、狭さは感じません。
シャワーはいつでも真水の熱いお湯がでるし、トイレも勢いよく流れてくれます。

客室はダイニングの真下になります。
同じフロアの船尾はエンジンルームと倉庫で、発電機、海水濾過装置、ボイラーもそこにあります。

客室は全部で6室。ゲストの定員は12名です。
わたしたちが泊まった3号室は船首に一番近かったので、他の部屋より少し狭かったけれど、エンジン音がほとんど届かず、かえって快適でした。

さて、客室からダイニングに上がってくると、ソファでヒゲのジョンが寝てます。
彼らは、1人1部屋だから、相部屋の相手のいびきが気になるわけでもなし、なぜこんなところで寝てるんでしょう?
アメリカとの時差は+10時間前後だから今の体内時計は18:00のはずで、目が冴えて困るというのならわかるんですが・・・

起こさぬようにそっとダイニングを出ると、ギャレイ側の壁に掛けてある海図に、きのうの航路が書き込まれていました。

紅茶を入れ、タバコを吸いにそっと後甲板に移動します。
船内禁煙なので、アッパーデッキか船尾でしか吸えません。
ワッチ役のスタッフがひとりだけ起きていて、暇そうにしていました。




おめざはコーンフレーク
5:30頃から空が白み始め、きれいな朝焼けになりました。
日の出は6:00過ぎのようです。水平線に雲がかかっていたので、水平線から太陽が顔を出す瞬間は見れませんでした。

6:00になると、ステュワードのAliがテーブルに食器を並べ、「おめざ」のコーンフレークをセットしてくれました。

1本目のブリーフィングは6:30と言われていたので、みんな次々に起きだしてきました。

1本目(#3):カンドゥマ・ティラ(南マーレ)
カンドゥマ・ティラビヤドゥ・カンドゥ(カンドゥはチャネルのこと)に位置するティラ(深めの隠れ根)です。グーライドゥ・コーナーと人気を二分する回遊魚やトビエイの宝庫です。

東西約300mの長さで、トップは-16~-18m、西側はジャック・コーナーと呼ばれ、-23mにケーブ、その外に小さな根が点在しています。

ホワイトチップ、グレイリーフシャーク、イソマグロ、ロウニンアジ、ギンガメアジ、バラクーダ、マダラトビエイが、次から次へとレッジ(リーフからドロップオフに落ち込む棚の部分)沿いに通過していきます。













ティラの南西側からエントリー、チャネルの外へ向かうアウト・カレントがあります。
流れを横切る形でジャック・コーナーにとりつき、リーフを右に見て時計回りにコースをとります。
約半周してからリーフに上がり、42分から浮上開始、ドリフトしながら5mで5分安全停止をして、
外洋でドーニに拾ってもらいました。

<ログ>En:6:52、EX:7:41。Max D.25.4m、透明度15m、風向:西南西、水温30℃、カレント:中、W→E。

朝食
わたしたちが1本目を潜っている間に、小さなディンギーでクルーが釣りに行っていたようです。
オオカマスが2匹あがっていました。

たぶん、昼食か夕食のおかずにするんでしょう。




急いでシャワーを浴びて戻ると、すぐに朝ごはんです。
乗船して最初の朝食なので、ちょっとワクワクしながら席に着きました。
何となくみんなの席が決まってしまい、自然に昨夜と同じ席につきます。

テーブルには、塩・胡椒のほか、醤油、わさび、ケチャップ、チリソース、チョコレート・ペーストとピーナツ・バターがでていました。
このチョコ・ペーストが甘すぎず、すっかり気に入ってしまいました。


パンは自家製でフワフワだし、果物がジューシーでとても甘い!
シェフは西洋料理にもモルディブ料理にも長けているようです。
観光の国とはいっても、リゾートでのコック経験者をマーレで探すのは大変らしく、スリランカやインドまで探しに行くこともあると聞きました。

メニュー
マンゴー・ジュース、トースト、フレンチ・トースト、フライド・エッグ、ソーセージ、スパム、洋梨の缶詰、オレンジ、パパイヤ




2本目(#4):ロスフシ・コーナー→メドゥ・ファル(南マーレ)
このあたりは、南マーレでも好ポイントが集中しているエリアなので、母船はグーライドゥに停泊したままです。

ロスフシは、グーライドゥ・カンドゥ(チャネル)の北側の島です。
このカンドゥの真ん中にメドゥ・ファル(ファルは砂州のこと)があり、外洋から見ると2つの水路に分かれているように見えます。
このチャネルの南側コーナーがグーライドゥ・コーナーです。

ロスフシ・コーナーは魚影の濃いポイントで、クマザサハナムロやタカサゴの群れや、ナポレオン、グレイリーフシャーク、巨大ウツボが定着しています。
雨期はマンタも見られます。

メドゥ・ファルは南側リーフのソフトコーラルが有名で、人懐っこいナポレオン(過去餌付けされていたので、ゆで卵が大好物。白っぽい握りこぶし大のものを見ると噛み付きに来るので、注意が必要)や、チャネルを通過するバラクーダやイソマグロが見られるポイントです。

今回は、ロスフシの東レッジでエントリーして、コーナーで曲がらず真っ直ぐ南下し、メドゥ・ファルまで移動するルートでした。
メドゥ・ファルの向こう側のコーナーまで行く途中でアウトカレントになってきたので、浅場で引き返しました。

途中、ガイドのMujeyがムチヤギについているエビ(Hidden Sea Whip Shrimp)を見つけてくれたのですが、米人4人はまったく興味を示しません。
彼らは、マクロ系には興味ないようです。この時点で、Mujeyは小物に見切りをつけたようです。

<ログ>En:10:17、Ex:11:10。Max D. 31.2m、透明度18~20m、風向:西南西、水温30℃、カレント:穏、後半W→E。

昼食
母船は、グーライドゥのハウス・リーフを出て、チャネルでドーニの帰りを待っていました。

部屋でシャワーを浴び、ダイニングに戻ってから少し待ち、12:00ちょうどからお昼ごはんでした。

ランチのデザートに、必ずアイスクリームが出ます。この日は、チョコレート味でした。

メニュー

ビーフ・コンソメ、ナシゴレン、ケチャップ味のミー・ゴレン、白身魚のガーリックバター・ソティー、紫玉ねぎとポテトのジャーマン・ポテト風、レタスの千切り、インゲン、チョコレート・アイスクリーム

フェリドゥへ移動開始
母船はラグーンの内側にいるので、波も穏やかです。昼食を食べている間に移動を始めました。
30分ほどで南マーレ・アトール(環礁)南端に達し、フェリドゥ・アトールとの間の海峡を越えていきます。
ラグーンの外はちょっと波があるけど、昨日ほどではありません。

南マーレ・アトールフェリドゥ・アトールは、フェリドゥー・カンドゥをはさんで約14km離れています。
母船のスピードなら30分程度で、渡ることができます。

つづく