2007/04/29

4/29_1 ホテルを出て、マンティリ号乗船











目が覚めてカーテンを開けると、日の出直前でした。
時刻は6:10過ぎ。

ベランダから街並みを眺めていると、制服姿の生徒が続々歩き過ぎていくようになりました。
時刻は7時前。マーレは朝が早いです。
チャドル(ベール)をつけている人もいない人もいます。



7:30になったので、朝食のクーポンを握り締めて2階のレストランに下りようとするとエレベーターの表示にゼロの文字が…??

やってきたエレベーターに乗り込むと、今度はボタンのいちばん下にGの文字が。

イギリス式なので、1階はグランド・フロアでゼロ、2階がファースト・フロアで1の表示だと納得。

泊まった部屋は803号室で、エレベーターも8の表示で降りたので、昨晩は最上階(9階)に泊まっていたことに気づかなかったのです。

レストランは貸し切り状態でした。
食事はコンチネンタル・ブッフェです。

ディベヒ語(モルディブの言葉)でウエイターに
「キヒネッタ!カレ・ゲ・ナマキ・コバ・ヘ?」(こんにちは、あなたの名前は?)
と聞くと、困ったようなあいまいな笑顔…またまた???
英語で聞きなおしたら、バングラデシュからの出稼ぎですって。
どおりで、昨夜の機内もバングラデシュ人が多かったんだ、と、またひとつ納得。

食事を終え、部屋に戻りましたが、まだ少し時間があったので、エレベーターホールの窓から外の風景を撮影。



初めてモルディブに来た頃(1990年)のマーレの街並みは平屋か2階建てで、ビルといえば大統領官邸・警察署・病院ぐらいしかありませんでした。
だから、街のどこにいてもフライデー・モスクの金色に光る丸屋根が見えて、道に迷う心配がなかったんですが、今は7~8階建てのビルが林立しています。


左の画像は、セントラル・ホテルの9階から西を眺めたもの。
右の画像は、同じく東を眺めたところ。国立競技場の照明と、その手前に建築中のビルが見えます。

8:15になったので、荷物を下ろしてもらうようポーターを頼みました。
昨夜両替したRfが役立つかと思いましたが、ホテルの従業員はUS$1の方が嬉しいとのこと。
Rf10だと、$0.78だからでしょうか?

ロビーにはイタリア人が4人。彼らはどこで見かけても賑やかです。
挨拶したら、「これから帰国するのか?」と聞かれたので、「これからサファリ・ボートに乗る」と答えました。

タバコを吸いに表に出ると、人待ち顔のモルディブ人が。
目が合ったら、”Are you Mr.Okada-San?" と聞いてきます。
ミスターつけたら、さんはいらないよ、と思いながら、
「いえ、オトさんです」と答えると、持っていた書類を確かめて、
「あなたを待っていました。日本人の名前はわかりにくい」と言われました。
昨夜とは違うガイドが迎えに来ていたのでした。

と、その時、鮮やかな赤のミニスカートのツーピースにサングラス姿の超美形モル人女性が
目の前を通り過ぎました。
思わず、しばし2人で見とれてしまいました。(写真撮りたかったなあ)

洋服を着ているモル人女性を初めて見た瞬間でした。やっぱり、モルも随分変わってきてます。

気を取り直し、チェックアウトを済ませ、荷物をホテルのタウンエースに積み込み、ジェティに移動。
ガイドは後ろからバイクでついてきます。

ジェティに着くと、ガイドは携帯電話でどこかに連絡。しばらくすると、ダイビング用のドーニがやってきました。
ガイドに別れを告げ、ドーニに乗ると、ダイビング・ガイドのMujeyが迎えてくれました。
これからフルレに寄って、アメリカ人ゲスト4人をピックアップしてから、母船に行くとのこと。
彼らはフルレホテルに滞在していたようです。

マンティリ号に乗船したのは、9:00ちょっと前。
ドーニに乗り込むときも、ドーニから母船に移るときも、
荷物は全部スタッフが運んでくれます。

まずは、ソファに案内され、
ウエルカム・ドリンクといい香りのするおしぼりでお出迎えでした。

つづく

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